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◯山口 修君 |
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次に、鹿児島本港区の課題についてでございます。
奄美・沖縄航路の北埠頭移転についてお尋ねをいたします。
奄美・沖縄航路の北埠頭移転につきましては、平成十六年の第二回県議会におきまして、既に私、質問を行っております。そのときの回答は、「種子・屋久航路などが南埠頭に移転した後、喜界航路を北埠頭に移転する。残る二社については、引き続き移転について協議をするとの合意が整っているので、新港から北埠頭へ移転する場合の利用上の問題点などについて、関係者と協議を進めたい」との回答でございました。南埠頭の基部に新設された種子屋久航路の高速船ターミナルは、四月十二日に供用開始の予定とお聞きしております。その結果、北埠頭の高速船岸壁があいて、奄美・沖縄航路の受け入れ態勢が整うことになります。
奄美・沖縄航路の北埠頭移転につきましては、二件の陳情が出されており、現在継続審査となっております。一件は大島郡町村議会議長会から出されました「鹿児島港本港区北ふ頭移転の早期実現について」、あと一件は、奄美群島航路対策協議会から出されておりますが、「鹿児島港本港区北ふ頭移転計画の推進について」であります。新港の奄美・沖縄航路待合所の老朽化、新港と市街地との交通の利便性のなさ、フリーザーコンテナの対応施設がないことなど、奄美・沖縄航路を利用される乗客あるいは観光客の皆さん、関係企業からのたっての陳情であると理解するものであります。
種子・屋久航路の高速船が南埠頭に移転することで、奄美・沖縄航路の北埠頭移転の障害はなくなったものと考えます。これまでの協議経過と今後の対応策についてお尋ねをいたします。
次に、鹿児島港重要港湾指定百周年についてお尋ねをいたします。
鹿児島港は、明治三十四年から明治三十八年まで、勧業知事と言われました加納久宜知事によりまして大改修が行われました。現在の鹿児島港の基本が築かれた大工事でございました。そして、明治四十年、一九〇七年の十月には重要港湾の指定を受けております。その後数々の改修を重ね、昭和六十年には本港区再開発整備に着手、二十二年の歳月を経まして、平成十九年四月十二日には種子・屋久航路の、先ほど申し述べました高速船ターミナルの供用が開始され、鹿児島港本港区の再開発整備がほぼ終了をいたします。幸いにして、本年二〇〇七年は、先ほど述べました重要港湾指定から百周年という喜ばしい記念する年に当たるわけでございます。
このような記念すべき節目の年には、これまでの鹿児島港の歴史を振り返り、あるいは次世代に向かってさらに飛躍、発展を期す百周年事業なるものが挙行されるのが一般的でございます。その記念事業の中で、帆船パレードあるいはヨットレース、そして名山桟橋、ボサド桟橋、国鉄時代の臨港線などの思い出の写真展などを行えば、観光客の誘致にも一役買う百周年事業が考えられます。
財政的に大変厳しいものがありますけれども、鹿児島市あるいは鹿児島港を利用してこれまで発展してきました各離島の市町村、そして国交省の協力をいただければ、立派な百周年事業が挙行されると思いますけれども、主管部長のお考えをお伺いをいたします。 |
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◯土木部長(真下和彦君) |
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鹿児島港本港区につきましては、平成五年に北埠頭、平成九年に南埠頭が完成し、北埠頭を喜界航路、沖縄航路と高速船、南埠頭を種子・屋久航路と三島、十島航路が利用している状況でありまして、現在、南埠頭基部の高速船ターミナルの四月供用開始に向けて整備を進めているところであります。
奄美・沖縄航路の北埠頭移転につきましては、平成十年十二月の県旅客船協会との協議におきまして、種子・屋久航路等が南埠頭に移転した後、喜界航路を北埠頭に移転する、これと並行して残る二社について引き続き移転について協議するという合意がなされていることから、高速船ターミナル整備後の移転集約につきまして、利用上の問題点等について、今後とも引き続いて関係者と協議を進めてまいりたいと考えております。
鹿児島港は、明治四十年に重要港湾の指定を、大正八年に旧関税法に基づく開港指定を受けまして、鹿児島の海の玄関口として発展を続けており、県内外の人の移動や物流の中心的役割を担っております。平成十九年は、重要港湾の指定を受けて百周年の年でありますとともに、九月ごろにはマリンポートかごしまの供用開始が予定されておりまして節目の年となっております。鹿児島港にかかわるイベントの開催につきましては、県民や観光客が港に親しみ、県内外への情報発信としても有意義でありますことから、今後関係機関等と協議しながら検討してまいりたいと考えております。 |
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◯山口 修君 |
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それから、本港区の課題ですけれども、実は移転の問題につきましては、かつての同僚議員でありました元野景一議員が切々と訴えられました。便所の悪臭あるいはバス路線のない利便性のなさ、早く移してくださいということだったと思いますけれども、ぜひ関係団体との協議を早く終えて、一刻も早く北埠頭へ移られて、あのボーディングブリッジで船に乗られるようにしていただきたいと思います。
百周年事業ですけれども、節目、節目でこういう事業を行いながら歴史を振り返り、新しい鹿児島港づくりに邁進していただきたいと思います。
私、種子島の出身でございますけれども、高校時代、昭和三十八年から四十一年まで春・夏休みに常に行き帰りをしました。当時はふじ丸、つばき丸というわずか五百トンか七百トンの船でしたけれども、満員になりますと乗せないわけでございます。乗るがために朝四時、五時に起きて船着き場に行って切符を買って乗った思い出があります。そのときは貨客船でございましたので、牛も豚も馬も一緒でございました。佐多岬の鼻を回るときのあの揺れで、豚がキャーキャー鳴いて大変な思いをした記憶があります。それから、高速船の時代になりまして、今は九十分で島に渡れますけれども、待つこともなくスムーズにいっておると、これもある面では鹿児島港の改修がもたらしたことではないかなと思っています。
そういう意味で、奄美の皆さんの思いは重々わかるわけでございますので、土木部長、知事におかれましても、早急に北埠頭移転ができるようにお願いを申し上げたいというふうに思います。 |
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