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◯山口 修君 |
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次に、県北部の豪雨災害についてでございますが、お手元に写真入りの資料をお配りをしております。昭和四十七年当時、私二十四歳でございまして、まだ九州電力の現役の一技術者として妙見で働いておりました。川内川の湯田の発電所が水没したということで、乾燥機等を持って応援に参りました。そういうことで、あの当時、護岸はそう立派にまだ整地されておりませんでしたけれども、木に布団がかかったり、シーツがかかったり、本当にこんな言い方は悪いんですけれども、大きな七夕さんのような災害の姿が頭に残っております。ここに当時の町役場がつくりました「宮之城温泉復興誌」というのがありますけれども、当時の町長さん初め議長さん、そして県、国、一生懸命取り組んできた経過がございます。そういうこともございまして、ぜひ皆様にいま一度あの大災害を思い出していただきたいし、知らない人は頭に入れていただきたいということで、さつま町役場に参りまして、写真を借りてきてこの資料をつくった次第でございます。
当時、湯田温泉の中州に国民宿舎「さつま荘」というのがあったわけですけれども、私も一回ほど泊まった経験がありますが、お客様、従業員三十二名が豪雨の中に残されまして、海上自衛隊鹿屋基地のヘリで救出されたということが、この復興誌にしっかりと書かれてあります。この右側にありますのが、ありし日の国民宿舎「さつま荘」でございまして、青木ヶ島公園ですかね、当時の。ここに建っておった姿でございます。そしてその下の方に、河川工事の関係で撤去されまして、今は河原になっております。それから左の下の方にありますのが、湧水町の阿波の井堰、チッソ栗野発電所の取り入れ口でございまして、川幅二十メーターもないんじゃないでしょうかね、ここの狭隘部が湧水町の皆さんが何とかしてくれということを長年思っている場所でございます。そういうことも含めまして質問をいたしたいと思います。
もう一つですね、実はこの復興誌の表紙の裏に、湯田に生まれました歌人岩谷莫哀さんの歌が載ってございます。「見下ろせば さつまの方へ ひと筋の 川うねうねと ながれたりけり」ということで、明治二十一年のお生まれの方ですが、その当時ゆったりと流れていく川内川の雄大なといいますか、勇壮な姿をうたったふるさとを思う歌でございます。その川内川が今はよく「板東太郎」とか言いますけれども、暴れ川になっているわけでございます。
そこで、川内川の総合治水について質問いたしますが、昭和四十七年の鹿児島県七月の臨時県議会会議録、そしてこの宮之城温泉復興誌を読んでまいりますと、昭和四十七年六月十一日から断続的に降り続いたのが四十七年の水害につながっております。当時の記録では、鶴田ダム上流で約六百ミリ、大口市で五百ミリ降ったということでございます。この異常豪雨によりまして、宮之城温泉の温泉街が百二十戸流失をしたということで、想像を絶する大惨劇になった次第であります。あれから三十四年が経過しておりますけれども、ことしの七月二十二日、北薩方面含めまして大災害に襲われて、県議会でも災害対策協議会、視察に参りましたけれども、見るに忍びない非常に悲惨な災害に遭われておりました。
災害に遭われた皆さんが異口同音にお話になるのが、遅々として進まない川内川の河川改修、そして鶴田ダムの操作規則のあり方ということでございます。四十七年の災害の後に開催されましたこの会議録を見てみますと、鶴田ダムの基本設計は当時の昭和二十五年から作業に入っておりますけれども、過去八十年間において最大三百五十ミリの雨量ということで設計がなされております。したがいまして、四十七年の五百ミリ、六百ミリ、そして今回の一千ミリを超えるこの豪雨には、とてもじゃないが能力を発揮できないといいますか、オーバーをしたということが言えるんじゃないかなというふうに思っています。
それから、鶴田ダム建設によって、当時川内川の水害は毎年平均二億七千万円ほどの水害が出ておったようでございますけれども、これがなくなるというようなふれ込みもあったように議事録に残っております。それから、昭和四十七年当時の川内川の直轄工事予算は約十一億円、そして川内川百三十七キロですかね、全流域の護岸なり河床掘削なりやっていくのには、残工事金額として七百四十億円かかるという答弁がなされております。さらに、当時知事さんでございました金丸知事は、建設省に対しまして、六月、七月、八月、三カ月間は発電を停止して、防災ダム専用にされたいという申し入れを行っております。
そういうことで、金丸知事が申されておりますけれども、「今回の昭和四十七年今回の災害について痛感することは、降雨量の異常さもさることながら、河川改修のおくれである。今後はより一層河川改修の促進に力を注ぎ、それぞれの工事が一体となって高い治水効果を発揮するよう努めなければならない」ということで答弁されておりますけれども、この金丸知事の答弁は、三十四年たった現在でも全くある面では同じ答弁につながるのではないかなと思っております。
昭和四十七年以降の川内川の上流部の工事の歴史を見てみますと、鶴田ダム上流では菱刈の捷水路が昭和四十九年に暫定竣工をしております。湯之尾分水路は昭和五十八年に竣工し、湯之尾の捷水路は平成十一年に竣工をいたしました。これらの改修工事の効果で、梅雨時にいつも床上浸水に遭っていた湯之尾の温泉街ですか、浸水の話は現在では皆無になっております。この湯之尾地域の遊水が今では本川に一気に流れ出てきているという理解をしてもいいんじゃないでしょうか。そういうことで、鶴田ダムの満水になる時間帯は早まっているというふうに考えられます。
一方、下流の薩摩川内市は昭和四十四年、四十六年に大水害に遭い、市街地が浸水をいたしました。その後、排水ポンプが設置されまして、河川の拡幅の工事によって、現在では川内市街地の浸水被害は全く耳にすることはございません。
それから、最大の課題でありますけれども、湧水町におかれましては、当時の吉松町になりますかね、昭和四十七年当時からの課題であるこの阿波の井堰の撤去、あるいは狭隘部の開削、放水路の建設などを要望しております。それから、一方、旧宮之城町では下流の屈曲部椎込突端の開削、さらに狭隘部のおしのらんかんの拡幅など、流速の増大を図る措置を講じていただきたいという要望書が出されております。椎込の話は先だって地元紙にも載りました。「おしのらんかん」、何だろうと思いまして、町に聞いてみましたら、オシドリのいる川筋が椎込の下流の方にあるようですけれども、その見学するところが橋の欄干のようなさくをつけているので、通称「おしのらんかん」という名前がついていますということを聞いたところでございます。
こういうことで、下流域の改修はなかなか進まず、中流部のさつま町を中心とする改修計画が進展を見ていないのが現状だというふうに思っています。このような大洪水を的確に把握して対応するためには、防災システムの強化などのソフト面の対策が必要ですし、河川改修工事のハード面の対策、二つあるというふうに思っています。このソフト面から考えてみますと、集中豪雨を総合監視するシステムが不可欠でございます。今は気象衛星もあるわけでございます。昭和四十七年当時はまだ気象衛星はございませんでしたけれども、気象衛星から的確な雲の流れなり、海温の上昇なり、この情報をしっかりと集め、そして川内川流域に設置されております雨量計とか流量計の情報を同時集約して、その状況を今の時代でありますから、コンピューターで常時解析して、その状況をリアルタイムに気象庁から国土交通省、さらには都道府県、各市町村とオンラインでつなぎますれば、リアルタイムにこの監視、操作もできていくんではないかなというふうに思っております。そういうことで、総合監視システムを構築することが急がれていると思いますけれども、県のお考えをお尋ねをいたします。
それから、ダムの運用規則の観点からお尋ねいたしますが、さつま町の地元の皆さんは、洪水期間中は防災ダム専用にという強い意見があります。予備放流水は現在百三十一・四メーターでございますが、最低水位の百三十メーターに下げた場合の貯水効果はいかばかりか、お示しください。
さらに、鶴田ダムの予備放流水は六月十一日から八月三十一日まで、標高百三十一・四メーターとございます。梅雨の前線の停滞とか梅雨明けのない梅雨とか、最近の異常気象から考察するときに、現在の百三十一・四メーターの予備放流水を百三十メーターまで下げる必要があると考えますが、県はどのようにお考えでしょうか。
昭和四十七年の水害の後、川原地区の拡幅工事、それから築堤の工事がされました。しかしながら、今回も水害になったわけですけれども、この地点の最大流下能力は果たして何トンなのか、お示しをいただきたい。ここの最大流下能力がある面ではダムの放水量によって必ず床上浸水、浸水になるという数字が出てくるんじゃないかなと思います。
それから、鶴田ダムの操作規則の制限水位、第十五条の洪水調節計算式の見直しの必要はないのか、お尋ねいたします。
それから、知事はヘリコプターで川内川の状況を視察されたとお聞きをいたします。私ども議員並びに関係自治体の関係者もある面では川内川の川筋、あるいは米之津川の川筋を知ることが予算の交渉なり、議会での論議の中にある面では正確な論議をさせるんじゃないか。そういう意味では航空写真やビデオ、鳥瞰図などを作成して、みんながわかりやすい資料整理を私はすべきではないかと思いますが、以上お尋ねをしまして、第一回目の質問といたします。 |
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◯土木部長(真下和彦君) |
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川内川流域の河川情報につきましては、雨量や河川水位の観測所の情報がリアルタイムでダム管理所に送られておりまして、さらにレーダー雨量や気象台から提供される降雨予測の情報をもとに流入量を解析しまして、ダムからの放流量を決定しております。放流に当たりましては、ダム下流の市町などの関係機関に通知しますとともに、流域住民に警報車やサイレンによる警報を行っておりまして、さらに住民の避難活動の目安となります洪水予報を平成八年度から提供しております。このような河川情報システムにつきましては、適切なダム操作や洪水予報に資するため、降雨予測の精度の向上が必要であると考えておりまして、さらに今後情報を速やかに伝達しますために、国と県におきまして、画像情報を含む防災情報の共有化を図ることを目的とした光ファイバーによる防災ネットワークの構築を行いますとともに、市町への情報提供についても検討してまいりたいと考えております。
鶴田ダムにつきましては、六月十一日から八月三十一日までの間、最低水位百三十メートルから百三十一・四メートルまでの容量を発電に使用しておりまして、これを洪水調節容量に振り向けた場合、現在の洪水調節容量七千五百万トンに対して二百五十万トン、約三%の増加となります。現在、百三十一・四メートルに設定しています予備放流水を、百三十メートルに引き下げて洪水調節容量の増加を図りますことは有効な手段であると考えておりまして、発電容量の買い取りにつきましては、発電事業者との協議が必要でありますが、その実現について国に要請しているところであります。
宮之城の川原地区につきましては、昭和四十七年の水害以降、築堤や護岸の整備が行われておりまして、当地区の流下能力につきましては、降雨の状況や支川からの流入量にもよりますが、鶴田ダムの放流量がおおむね千百トン程度までの洪水を流下させる能力があると考えております。
洪水調節を開始する流量につきましては、ダムの操作規則におきまして、下流河川の状況から六百トンに設定されておりますが、今後ダムの有効活用も含め見直しについて検討する必要があると考えております。
河川の整備状況につきましては、現在パンフレット等によりまして、県民に広く周知しているところでございますが、今後さらにわかりやすい航空写真や地図を活用しました資料を整備しまして、県政情報センター等で閲覧できるように努めてまいりたいと考えております。 |
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◯山口 修君 |
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川内川の豪雨の関係ですけれども、水利権の問題が絶対出るようでございますね。発電の問題もですけれども。鹿児島県は現在聞くところによりますと、川内川の電源開発の利水で年間一億九千万円ほどの収入があるようでございます。そういう部分で発電を停止しますと、収入が減るわけですけれども、ひとつここは流域の安全のために六、七、八月の発電停止という部分に精いっぱい御努力をしていただきたいと思いますし、三十四年前の知事であります金丸知事は、伊藤知事の大先輩でもありますから、ひとつこの部分の議事録を再読していただきまして、国交省との交渉に本腰を入れていただきたいというふうに思っております。そういうことで、画像の関係もありましたので、期待をし、わかりやすい河川対策にしてもらいたいと思います。
それから、実はダムの放流についてあるいは災害について、サイレンとかの部分が、どうもダムばっかりに負担といいますか、責任があるようなことをよく言われますけれども、実は水防信号規則というのがございまして、消防団、あるいは警戒水位に達したときの警報とかあるんですね。一番最後に、第四信号というのがありまして、「必要と認める区域内の居住者に避難のために立ち退くべきことを知らせるもの」ということで、水防信号によりますと、警鐘信号、いわゆる鐘を乱打しなさい。それからもう一つはサイレン信号ですね。第四信号は警鐘信号乱打、サイレン信号、一分鳴らして五秒休み、これをずっとするということでございます。そういうことで、今度の水害の中でこの水防信号が発せられてないんじゃないかなというようなことが雰囲気で私、思っていますので、どうかこういう条例に定められている部分は守っていただくように再度、昔からの昭和二十四年の規則でございますけれども、古いことは古いですが、あるべきものは守っていただきたいというふうに思います。 |
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