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◯山口 修君 |
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おはようございます。無所属の山口修でございます。梅雨の合間の晴れ間ということで、私の登壇を天気までが待っていたかなというふうに思っております。
けさも交通指導をしながら、小学生、中学生、高校生の朝の出校を見送ったわけですけれども、みんな元気ではつらつと学校に向かっております。まさか佐世保のような事件が起こるとは夢にも思いませんでしたけれども、世の中のこの変遷はこれからどんなふうになっていくんだろうかと非常に危惧いたします。
戦後生まれの団塊の世代の我々の世代はいいことも悪いことも経験をしてきております。そういう意味では、責任ある世代になってきたかなというふうな思いで、県議会の中においても、そういう部分でいよいよしっかりと私どもの世代が頑張るときではないかなということを思いながら、今回の質問に入らせていただきます。
まず、須賀知事の県政五十五年を振り返って、県職員教育と人事についてお尋ねいたします。
去る五月十七日に、大変御多忙なところ、無所属の四人の県政学習会を知事室で開催させていただきました。大変ありがとうございました。四人を代表いたしまして改めて御礼を申し上げます。
席上、四人の議員が須賀知事の経歴を思い浮かべながら、鹿児島県政についてフリーに意見を述べ、それに知事が自然体で答える形で会が進んだところでございます。
アメリカのダレス国務長官が昭和二十八年八月八日に奄美群島日本返還の声明を発表されてから、当時、県庁の財政課におられた須賀知事は、二十八歳の若さで奄美大島復帰の予算編成班の一員として上京され、各省庁と不眠不休の折衝を行い、奄美大島に行ったこともない、見たこともない須賀知事が、奄美大島の島民の皆さんになり切って、復帰予算の獲得作業に従事された話を初めて伺いました。
昨年は、その奄美群島日本返還の復帰予算獲得に携わった御本人が、奄美群島のこの五十周年記念式典を主催者として、鹿児島県知事として開催しようとは、当時夢にも思わなかったことだろうと、感慨深くお話に耳を傾けたところでございました。
弱冠二十八歳の青年職員の力量を見抜き、このような大仕事をやらせた上司も立派でございますけれども、やり遂げた当時の須賀職員もまた立派なものであります。結果として知事は、この奄美大島復帰の予算獲得の手腕が評価され、そのまま東京事務所に居座ったと言ったら悪いですけれども、勤務になられたということでございます。昭和二十八年の奄美群島日本返還発表のとき、もし須賀職員が県庁財政課員でなかったら、現在の須賀知事は誕生されていなかったかもしれません。人生は摩訶不思議であります。
そこで、知事のこれまでの経験を振り返りながら、県職員教育と職員人事についてお伺いいたします。
知事は、先ほど述べましたように、奄美群島日本復帰の予算獲得で能力をいかんなく発揮されたことが上司に認められ、そして異例のといいますか、東京勤務になられたわけでございますけれども、現在の人事制度の中ではとても考えられない人事であったというふうに思います。まさに個性を買われての、そして時代が必要とした人事であったと考えます。
近年の県職員採用を見ますと、職員の高学歴化・同列化が進み、人事異動は、異動の趣旨・特徴が見えにくく、結果オーライ型の異動になっていると言えるのではないでしょうか。私が見た知事の歩いてこられたその足跡は、まさに知事の個性が生かされ、時代のニーズに合致した人事の上を歩いてこられたというふうに思います。今、そのような道を歩いておられる職員がいらっしゃるでしょうか。これからの地方分権の時代を考えますときに、須賀知事のような異能職員をどしどし育てることが、県勢の発展に大きく寄与するものと考えます。
知事は、後輩の鹿児島県職員の皆さんに何を望み、何を期待するか、そして、望ましい職員像と職員人事についてどのようなお考えをお持ちになっていらっしゃるのかお伺いいたします。 |
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◯知事(須賀龍郎君) |
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県職員の人事異動は、従来から、職員の経験、能力等を勘案いたしまして、適材適所の原則に立って積極的な登用を行ってきたところであります。私も、昭和二十三年に県職員となりましてから、与えられました職責に全力を傾注し、取り組んできたところであります。
知事に就任いたしましてからも、県民が主役のまごころ県政の推進、県民とひびきあう明るい県政の推進、新たな時代に果敢に挑戦する県政の推進という三つの基本姿勢を繰り返し繰り返し県職員の皆さんに申し上げ、そのための適材適所の人事配置にも努めてきたところであります。
今日のように激動する社会・経済情勢の中におきまして、これからの県政を担う県職員の皆さんには、みずから創意工夫を重ね、幅広い視野を持って、県勢のさらなる浮揚発展のために尽力していただきたいと考えておりますし、また、職員の皆さんもその資質を十分に備えているものと私は考えております。 |
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◯山口 修君 |
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知事の東京事務所時代ということで、議会図書室に行きまして住所録を探しましたら、昭和二十九年六月一日発行の住所録が一番古い形で残っておりました。知事は、総務部担当として当時の伊地知所長から数えて五番目に列せられております。当時の東京事務所十五名の時代でございます。
「港区赤坂檜町十の十五、公舎」とありますので、県の公舎であったのかわかりませんけれども、私たちとお話をなさった昭和二十八年の大島復帰の後、直ちに東京勤務になったというのがこの住所録で確認ができました。長い間本当に御苦労さんでございました。
なお、先ほど商工観光労働部長の方からありましたけれども、屋久杉の件につきましては、柴立会長さんあるいは観議連の打越会長さんたちと連携をとってやっていきますけれども、もしも期成会のようなものができましたら、知事を名誉会長なりに祭り上げまして、資金稼ぎに御協力をお願いいたします。 |
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